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古い友人のことを思い出したら、
『教祖さま』について書きたくなった。
人を育てるには、
『親』という存在は必要だけれど、
『教祖さま』はいらない・・・
と私は考えている。
自己を堅持する人達を、沢山見てきて、
私には、そう思えて仕方がない。
この世に生きる、人間の『同志』は、
みんな“五十歩百歩”なのだ。
『親』の至らなさは、成長した子どもなら、
気付いていつか離れていくもの。
たまには『親』を『教祖』にして、
いつまでも依存している人もいるようだが。
“自己顕示欲”の目指す先はさまざまだ。
少し頭が良かったり・・・
少し声が大きかったり・・・
”勘違い”は、人の心の流れを、
止めてしまうこともある。
『親』も『教祖』も、他人ではなく
自分自身の中に在るのが、
“自立”というもの・・・・
“真の大人”になるということ・・・
自分には今、何が必要ですか?
何を信じて生きるのでしょうか・・・ね!

昨日の仕事帰りのこと・・・
狭い道を、対抗車と離合した直後、
けたたましくクラクションが鳴った。
“何事だろう”とびっくりした。
そういえばさっき、待ってくれていた相手に、
挨拶をしてなかったことに気が付いた。
考え事をしていて忘れたのだ。
そうか、私だって同じ立場では、
時々イラッとすることがある。
それは申し訳なかった・・・と反省した。
さて、その時、何を考えていたかというと、
『宿命』と『運命』についてだった。
『宿命』はあきらめて受け入れよう。
その人間関係は、決まったものだから・・・
『運命』の出逢いは大切にしよう。
その人間関係が続いていることは、
奇跡のようなことだから・・・
なんて考えていたら、
クラクションを鳴らされた訳だけど・・
反省はしたけどさぁ、クラクションは、
別に鳴らさなくてもいいじゃない・・・ねェ!

我が家は9階にあるので、
ベランダからの眺めは結構いい感じだ。
昔、「うつ」で家から出れなかった時、
一日中ベランダから外を眺めていたなぁ・・・
人間の心は”ポジティブ”ばかりでは無い。
人を恨んで、悲しんで、寂しがって、恐がって・・・
嫌なことは嫌だし・・・
出来ないことは出来ないし・・・
景色は毎年少しずつ変わるけど、
この空への広がりはきっと無くならない・・・
自分が選んだ道への『責任』は、
ずっと変わらず背負っていくよ・・・
ベランダをもう少しきれいに整えたら、
いつか『ハンモック』を置くのが夢だ。
そして夜空を見ながら眠ろう・・・
何にも縛られずに眠ろう・・・
ささやかで幸せな
私だけの小さな夢だ・・・ね!

弟のことも書いておきたくなった。
私のたった一人のきょうだいだ。
私の実家は、
母と弟夫婦と姪の4人家族。
女3人の中で、
弟は弟なりに頑張っている。
母の愚痴や、妻の愚痴、
おまけに姪の文句にも
何とかやりくりしているようだ。
女性たちと違って弟が私に、
自分の弱音を言うことは
ほとんど無かったように思う。
それでも幼い頃から、姉からみる弟は、
どうしても頼りなく思えてしょうがなかった。
振り返ってみると弟は、長男としての責任を、
今日までしっかり守り続けてくれている。
そして何より、私が一番認めていることは、
夫婦が今も変わらず仲がいいこと・・・
『実家の皆が幸せであって欲しい』
離れてはいるが、心から願っている。
弟にも義妹にも、
本当に感謝してるよ。
弟よ、がんばれ


これからもよろしく・・・ね!

“人の振り見て 我振り直せ”
という言葉は割と好きな諺だ。
私は実家に帰るたびに
“親の振り見て 我振り直そう”と思う。
いまだに心は少し痛むけどね・・・
母の良いところは、手先が器用なところ・・・
写真のような小物を、日々手作りする器用な人だ。
悪いところは、言い張るところ・・・
自分の主張は絶対に曲げない。
言わなくていいことも、つい言ってしまう人だ。
私は、“器用さ”は受け継いでないけれど、
”頑固さ”はしっかりと受け継いでいるようだ。
母も「分かっているんだけど・・・」と
なかなか変わらない自分を嘆いていた。
私も気をつけなくっちゃ・・・
さて、日が沈むまでに、
間に合うかしら・・・ね!

人の『感情』に付き合うことが
私の仕事である
泣いたりわめいたりする人に
周りの人は驚いて恐がるけれど
私は「よかった・・・」と逆に安心する
“あるもの”は出した方がいい
うつうつと人に遠慮してきた『感情』は
許される場があるのなら出した方がいい
幼い頃『感情』を親に受け止めて貰えた人は
案外簡単に 自分の『感情』を治められるようだ
でもほとんど 親自身が
気持ちなんか聞いて貰って育ってはいない
『感情』はあって当たり前・・・
出せる場は甘えられる場所・・・
自分の『感情』から自由になった大人が
沢山育つといいなぁと思う
そうすると今度は 人の『感情』も
苦しまずに受け止められる
そしてダメな事はダメと言える凛とした『親』に
さらに育ってほしいと願ってやまない
私自身も・・・ね!

腹が立ってしょうがない
また幼子の虐待死のニュースだ
ひょうひょうと話す父親の姿を
テレビは映している・・・
まだ怒りを抑えられない
きっと皆も同じ想いではないだろうか
人として・・・ 親として・・・
言葉が見つからない
他のどんな資格よりも『親になる資格』が
もう必要な時代ではないかと真剣に思う
ちゃんと大人になった人が親になれるはず
子どもが子どもを育てられるはずもない
『ひとりの人間をつくること』はゲームとは違う
自分を育てる気の無い人に子育ては出来ない
少子化なんてどうでもいい
大人が大人でない社会は自然に無くなる
亡くなった子どもの気持ちを思うと
とてもやりきれない・・・
せめてあの世では美味しいものを
いっぱい食べてください・・・ね!

『全部』を知らないと
気が済まない人がいる
その好奇心は
“拡がり”へのエネルギーに変わる
一方で
『一部』を見ることで満足する人もいる
周りが見えないので
そこを信じれば“安心”が手に入る
『全体』を追う人・・・
『一部』で満足する人・・・
どちらが正しい?
どちらが幸せ?
『全部』を知った驕り・・・
『部分』を信じる驕り・・・
さて
どっちもどっち
ただの勘違いかも・・・ね!

昨日仕事が終わってから
『発達障害』の支援に取り組んでおられる
山田裕一さんとお会いした
かなり長い時間話し込んだが
おもしろい話しを沢山聞けた
ご縁は続きそうで
こらからの関わりも楽しみだ
人との出会いは
『部分』では満足しない私にとって
大事なイベントでもある
自分が知らない人生に触れ
また“自分に返る”のが私のやり方だ
もちろん『全部』は無理
驕りへの勘違いは もうやめよう・・・ね!
