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今日は一日、ルーテル学院大学にいた。
描画学会の全国大会に参加してきた。
特別講演は、絵本作家の葉祥明さん。
他に事例検討など・・・
臨床に使う『絵』と、鑑賞する『絵』は違うと、
葉さんも言ってたね。
私なりに、また少し考えてみよう・・・
休みのない一週間だった。
ゆっくり休もうっと・・・ね!

古い友人のことを思い出したら、
『教祖さま』について書きたくなった。
人を育てるには、
『親』という存在は必要だけれど、
『教祖さま』はいらない・・・
と私は考えている。
自己を堅持する人達を、沢山見てきて、
私には、そう思えて仕方がない。
この世に生きる、人間の『同志』は、
みんな“五十歩百歩”なのだ。
『親』の至らなさは、成長した子どもなら、
気付いていつか離れていくもの。
たまには『親』を『教祖』にして、
いつまでも依存している人もいるようだが。
“自己顕示欲”の目指す先はさまざまだ。
少し頭が良かったり・・・
少し声が大きかったり・・・
”勘違い”は、人の心の流れを、
止めてしまうこともある。
『親』も『教祖』も、他人ではなく
自分自身の中に在るのが、
“自立”というもの・・・・
“真の大人”になるということ・・・
自分には今、何が必要ですか?
何を信じて生きるのでしょうか・・・ね!

昨日の仕事帰りのこと・・・
狭い道を、対抗車と離合した直後、
けたたましくクラクションが鳴った。
“何事だろう”とびっくりした。
そういえばさっき、待ってくれていた相手に、
挨拶をしてなかったことに気が付いた。
考え事をしていて忘れたのだ。
そうか、私だって同じ立場では、
時々イラッとすることがある。
それは申し訳なかった・・・と反省した。
さて、その時、何を考えていたかというと、
『宿命』と『運命』についてだった。
『宿命』はあきらめて受け入れよう。
その人間関係は、決まったものだから・・・
『運命』の出逢いは大切にしよう。
その人間関係が続いていることは、
奇跡のようなことだから・・・
なんて考えていたら、
クラクションを鳴らされた訳だけど・・
反省はしたけどさぁ、クラクションは、
別に鳴らさなくてもいいじゃない・・・ねェ!
